このところ管理職の悲哀について記事の中で触れてきましたが、「罰ゲーム」とか言われる前から、特に課長・次長クラスは恵まれていませんでした。私が社会人になった2000年代はまだパワハラチックなカルチャーが至る会社に残っていましたが、その頃でさえもデスク(あるいは他社の中間管理職)は大変そうにしか見えなかったものです。
ただその大変そうだった彼らもある地点を超えると楽になるというか、負荷が明らかに下がるように見えました。下っ端には見えてなかっただけかもしれませんが、局長クラスなんかはただ机の前に座っているだけで、この人の方がよっぽど「デスク」だよな、などと不謹慎なことを思ったものです。もちろん実際には組織運営の仕事が多々あったのだとは推測しますが、それでも前線で記者に指示を出して紙面をつくり、何かと責任を負わなければならないデスクよりは、少なくとも肉体的には負荷が軽そうでした。
2000年代ですらこうでしたから、働き方改革で労働者側の立場が強くなった昨今では、さらに板挟みの度合いが強くなり、中間管理職の負担が大きくなるのは無理もないことでしょう。これはそのポジションにおける権限や権威が落ちたからなのでしょうか?
また国家レベルで管理職の悲哀と似ているなと感じるのが、国家公務員たるキャリア官僚の最近の報われなさです。キャリア官僚といえば、昔はドラマで鼻につくエリートとして描かれるぐらいの威信の高い職業でしたが、マスコミで報道されている通り、今は政治家に振り回され、さらに幹部クラスは人事権も握られているとされ、それでいて超長時間労働は変わらず、マスコミや国民からも叩かれ、もはや官僚養成学校の東大の卒業生ですらなりたがらないという、悲哀を通り越して悲惨な状況となっています。
私も中央官庁の取材経験がありますが、彼らは身を粉にして本当によく働きます。顔色が悪く、肌がくすんで、しわしわのシャツとよれよれのスーツを着ていたら、それは記者か官僚のいずれかという感じで、まあ彼らは営業の必要性が薄いのでそれで許される面もありますが、少なくとも一般企業のビジネスパーソンの方がよっぽど生き生きとして見えました。私の記者時代からそうだったのですから、そこからさらに抑圧の度合いが強くなっているのであれば、とてもやってはいられないと思います。
政治家と国民の間で板挟みになっている様子は、まるで国家の中間管理職のように見えなくもありません(厳密にいえば、日本は民主主義国家ですから国民は部下ではなく、むしろ政治家を代理人として国を運営する側にあるわけですが、投票率の低いこの国では政府に統治されているという感覚の国民の方が多いと思われ、若干の皮肉を込めてこのような表現にしてみました)。企業の中間管理職と同様、やはり彼らの権限や権威が落ちたのでしょうか?

どちらも個別具体的に分析すれば、様々な要因があるでしょう。すでに多くの識者が分析している通り、社会の複雑化、求められる業務の増加、組織のフラット化…、こうしたあらゆることに対応しなければならない。これでは負荷が増大することは避けられません。ではなぜこのようなことに対応しなければならなくなったのでしょうか? 今まではどうしていたのでしょうか?
企業でいえば「これまでは立場の弱い一般社員が我慢していた」ということになるのでしょう。パワハラ⇒下っ端は我慢しろ、業務繁忙⇒下っ端はサービス残業しろ、仕事がつらい⇒下っ端の甘え、みたいな。国家レベルでも同様で、一国民としては何かあっても声を上げることなく我慢するのが普通でした。
全体の負荷や矛盾が過剰ならば、そのしわ寄せは弱い立場に向かいます。企業であれ国家であれ、多くの利害関係者がいる以上、負荷が過少になることはありませんから、それは必ずどこかに押し付けられます。それが今まではヒラ社員だったり庶民だったりしたわけです。
しかし日本もついに近代国家として成熟してきたというべきでしょうか、今までないがしろにされてきたそれらの人々の権利が擁護されるようになってきました。それはインターネットの普及だったり働き方改革ムーブメントだったり、いろいろな要因に基づくものでしょうが、とにかく一人ひとりの権利が以前より尊重されやすくなってきたことは事実です。妥当性があれば少なくとも無視はしえなくなり、それは必要以上の我慢をしなくてもよいことにつながります。そう世の中のパワーバランスが変わったのです。
とはいえ先述した通り、企業や国家の負荷は過剰なまま変わりません。一般社員や一国民の我慢度合いが減ったら、その分をどこかの誰かが負担しなければなりません。それを押し付けるカモはどこにいるのか?
ものすごく乱暴に単純化して、世の中を支配層と被支配層に分けて考えると、ここまでの流れでは被支配層側のパワーが強くなったことが読み取れます。となれば押し付けるのは支配層側しかありません。しかし誰だって負担を押し付けられるのは嫌なものですから、支配層側だって本当は受け取りたくない。誰かに押し付けたい。でも誰に…? 支配層側にもその内部にヒエラルキーがあり、支配層と被支配層が分かれます。支配層を企業なら経営者、国家であれば政治家とするなら、被支配層は…もうお分かりですね(トホホ…)。
管理職や官僚の罰ゲーム化(官僚は罰ゲームとは言われていませんが、それ以上に悲惨なように見えます)に対する処方箋は様々な識者から出ていて、それなりに妥当性はあるように見えるものの、パワーバランスの中で負荷の増大が宿命になっている以上、対症療法でしかないようにも感じます。
一人ひとりの人権が尊重されるのは基本的にとても良いことであり、私も過去に巻き戻してほしいとは思いません。ただ悲しいかな、あらゆる資源が限られている以上、全ての人の願いをかなえることは難しく、結局世の中は誰かが割を食うしかないのでしょう。
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