【コーヒーブレイク】日系グローバル企業という幻想

コーヒーブレイク
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新聞記者を辞めてから勤めた会社はいずれも「グローバル企業」でした(現在も在籍中なので「です」の方が正確ですね)。そもそもグローバルとは何ぞやということはここでは掘り下げませんが、勤務先は世界各地に拠点を持ち、営業部門だけでなく、生産や研究開発部門の一部も海外進出していましたので、世間一般の人がイメージするグローバル企業に違わないと思います。

社内ではグローバル化は絶対的な善とされていました(います)。「人口が減少していく日本で内需は期待できない。だから需要が旺盛な海外市場を目指すのだ」「人材も日本人だけに偏りがあってはならない。できるだけ多様な国籍の人材をフルに活用すべし」

とにかく日本にこだわらず、世界をフィールドに戦うのだということがことあるごとに強調されます。そして対比として米国やヨーロッパの企業が挙げられ、日本企業はまだまだだと締め括られるのでした。曰く、彼らはグローバルで戦っていると。

でも私は少し冷めた気持ちで、こんなことを考えていました。「そんなにグローバルと騒ぐのであれば、本社をシンガポールにでも移せばいいのに」(ひどい社員ですね)。

もちろん日本は今後、人口が減少していくわけですから、国内市場が縮小することに疑いの余地はありません。海外のマーケットに目を向けるということもよく理解できます。が、それも程度問題で、世界で人材を採用し、世界で商品を開発•生産し、世界で販売するというのは、日本の企業としてはいささか壮大過ぎる目標ではないでしょうか。

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そもそも対比される米国やヨーロッパの企業は、そんなに肩を怒らせてグローバル、グローバルと叫んでいるようには見えません。なぜなら彼らの国々はすでに世界を支配しているからです(ビジネスに限らず)。彼らが各国に拠点を設ける感覚は、東京本社の会社が地方に営業所を設ける感覚と大きく変わらないのではないでしょうか。

対して日本はこれまでの歴史でただの一度も世界を支配したことがありません。戦前期に良くも悪くもアジアで勢いを増した時期はありましたが、我々の統治能力が低かったことは、今に至る反日感情を鑑みれば火を見るよりも明らかです。

残念ながら日本には世界各国を統治するだけの能力がありません。実際に日本企業の多くは各国の現地法人のマネジメントに非常に苦労していますし、私の実体験からも「難しい」の一言です。

東京ではなくシンガポールに本社を置けばよいという気持ちには「そんな力はないでしょう」という皮肉が込められています。そんなガチの環境でやっていける会社がいったい日本に何社あるでしょう。米国やイギリスの会社であれば多国籍企業としてやっていくことができるかもしれません。しかし日本が同じことをやったら単なる無国籍企業として、拠って立つところのない浮き草稼業になってしまうのが関の山ではないでしょうか。それにビジネス拠点として持ち上げられるシンガポールも、かつて世界を制覇したイギリス人によってつくられた国です。

私はナショナリストではありませんが、経済やビジネスが政治や外交から独立して存在しているとも思っていません。国力が低いのに日本企業が世界を席巻するなどということはあり得ません。お手本となる米国やイギリスは、企業だけでなく国としても世界に君臨しているのです(イギリスの場合は過去形ですが)。経営戦略や技術力で世界を席巻できると幻想を抱いているうちは、日本ではまだ何年も「失われた」日々が続くのかもしれません。

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